はじめまして。
子育てママの笑顔を増やすカウンセラー 福原ゆかこです。
当カウンセリングでは、
子育ての理想と現実にもやもやしている方
育児と家事に追われて常にイライラしている方
上手くいかない子育ての自己嫌悪から抜け出せない方へ
自分自身が抱えているイライラや
不安を手放して
自然とラクに生きられるようになる
カウンセリングを行っております。
私自身も完璧主義が壁となり、理想の子育てとのギャップに悩んでいました。
精一杯子どものために尽くしているのに、ちょっとしたことで声を荒げたり手が出てしまう。
そんな自分に、毎日嫌気がさしていました。
街中にいる穏やかで優しいお母さんを見ては、
「自分は怒ってばかりでダメな母親だ」といつも自分を責めてばかりいました。
人に頼ることが苦手な気質ゆえ、
誰に相談することもなく自力で解決しようとしていました。
次第に自分に対する子どもの態度が悪くなり、自分の言動を夫に指摘されるようになったとき、事態の深刻さに気がつきました。
自分を変えなければ!と
チャイルドコーチングやマインドフルネスの知識を学びました。
そして、ある心理講座を学んだとき、今までの生き方が180度変わるほどの衝撃を受けました。
生きづらさを感じていた原因は、
これまで生きてきた自身の経験の中にあったのです。
これをきっかけに、
今まで他人(外)に向いていたイライラや不安の原因を、自分軸で捉えることができ、自然とラクに生きられるようになりました。
きっと私自身と同じような悩みを抱えながらも解決できず、もがきながら日々頑張っているママさんがたくさんいることと思います。
自身の実体験からさまざまな悩みを解決したコツを一人でも多くのママにお伝えしたいと思っております。
正しいカウンセリングで生きづらさを改善し、笑顔を増やしていきましょうね☆
《略歴》
◆人見知りで従順な幼少期
◆敷かれたレールを歩く子ども時代
◆適切な距離感に悩む中学時代
◆自由になりたかった高校時代
◆高すぎる目標で挫折を繰り返す
◆自分らしさがわからず、もがく大学生時代
◆HSP気質に気づかず失敗ばかりの社会人
◆完璧を求めすぎて自分崩壊してしまう子育て期
◆自己嫌悪の沼にハマり心も体もボロボロになる
◆自分を苦しめていた原因を探り始める
◆自分軸で180°違う生き方を手に入れる
◆生きづらさを感じている方へ
◆私からのメッセージ
《プロフィール詳細》
人見知りで従順な幼少期
1986年、北海道で生まれました。
無口であまり干渉しない父親と完璧主義で過干渉な母親の下で
一人っ子として育ちます。
とにかく危ないことはさせまい、失敗させるのは可哀想と、大事に育てられました。
母の視線を全力で受け、母の言うことは絶対であると何でも言われるがままに過ごしてきました。
家ではひょうきんで歌や踊りが好きでしたが、外では大の人見知りでした。
お店の人や近所の人に声をかけられることが大嫌いで、母親と一緒に買い物へ行っても、レジ近くのベンチに座って買い物が終わるのを待っていました。
なんでも自分でやりたがり、手を煩わせない、わがままを言わない、言われたことを守るというまさに従順な育てやすい子どもでした。
4歳くらいの時、怒られることを恐れて、鉛筆の芯が折れてしまったことを母に言えず、《ごめんね》と書いたメモと一緒に棚の奥底にしまったこともありました。
うまくできずに失敗したり、間違ったりすると、敏感に目を尖らせて
「どうしてできないの?」「〇〇だからやめなさい」とガミガミ言われるので、とにかく親の言うことを聞いておこうと心に決めました。
5、6歳になると口も達者になるので、母のイライラ、ピリピリはエスカレート。
他人の目をかなり気にする母なので、礼儀や態度にはとても厳しかったのです。
人前でダラダラしたり、言葉づかいが少しでも悪いと、「行儀悪い!」と叩かれました。
敷かれたレールを歩く
子ども時代
実は母のイライラの原因は、
祖母と叔母からの執拗な嫌がらせによるものだったのです。
そのせいで両親が言い合いすることもあり、自分がいつも愚痴の聞き役でした。
きっかけさえあれば、マシンガンのように出てくる文句や愚痴…
母にとっては、相当しんどい状況だったと思うのですが、子どもの自分にとっては苦痛でしかありませんでした。
愚痴を聞いているはずが、自分への言動の指摘に変わることもしばしばありました。
「鈍くさい、気がきかない、思いやりがない、しっかりしてない‥」。
口ごたえをして必死の抵抗をするも太刀打ちできませんでした。
母親の声を聞きたくなくて耳をふさいだり、部屋にこもってモノを壁に投げつけたりする日もありました。
母の決断で色々な習い事をやってきました。
4歳から始めたそろばんはその一つで、検定や大会で好成績を残せたことは嬉しかったのですが、明確な目標が自分にはなかったので、親に喜んでもらえることが原動力でした。
結果的に学年が上がるにつれて成績が上がらなくなりました。
辞めたくないというプライドでしがみついていましたが、母の強制決断によりあっけなく辞めさせられたのです。
その後、自分の意思で「ピアノやりたい!!」と全力で言ってみたものの、ピアノは置けないという理由で習わせてもらえませんでした。
他にも、友達が持っているゲームやおもちゃが羨ましくて頼んでも、「お金がない、必要ない、頭が悪くなる」という理由で、ほとんど買ってもらえませんでした。
どうしてウチはこんなに厳しくて思い通りにさせてもらえないのだろうと、やり切れない思いを感じていました。
友人がディズニーランドに行った!映画館に行った!遊園地に行った!と言って盛り上がってる中、話についていけないことがあり、疎外感を感じることもありました。
10歳を過ぎた頃から友人関係で悩むことが増えてきました。
わけもわからず意地悪をされたり、無視されたりしました。
母に相談すると、「言い返しなさい、その子が悪いんだから」と。
その思考がインプットされ、何かトラブルがあると全て誰かのせいにして文句を言い、自分には非はないと思い込んでいました。
適切な距離感に悩む
中学時代
中学に入ると、周りからの評価を気にするようになりました。
自分の言葉で人の顔色が変わること、嫌な言葉を返されることを実感するようになりました。
そのたびに何となく自分の思いは通じない、否定されるものだと認識していくのです。
中2の時には、3人で仲良くなると、自分以外の2人が親しくなって自分が取り残されてしまうようになったのです。
この「3人組の落とし穴」は大人になっても続き、およそ20年ほど悩むことになるのです。
自分の殻を破ろうと、思い切って『どうしたの?なんの話?』と積極的に友達に関わると、『関係ないから向こう行ってて』と仲間に入れてもらえないこともありました。
「ん?私なんかしたかな?」
「言い方がまずかったのかな?」
頭の中はぐるぐるするも、考えれば考えるほど恐怖や不安に苛まれるようになり、「どうせ自分は嫌われるような人間なんだ」と開き直ることで問題と向き合うことから逃げてきました。
同級生の顔が視界に入るたび胸が痛みましたが、弱い自分を誰にも見せたくなかったので、常に元気を装い笑顔で過ごし続けました。
一方で、母親の厳しいしつけのおかげで、学校の先生の評価は良かったのです。
最初は乗り気じゃなかった生徒会長や部活のキャプテンも、先生や親からの期待に応えなきゃという責任感と同級生に負けたくないプライドで、苦手な人前もこなすことができました。
依然として同級生からは、僻み妬みから盗難被害にも遭いました。
昨日まで仲良く話していたクラスメートから、突然無視されることもありました。
「何なのだろう」ともやもやするも、教室から一歩出れば塾や部活などの違うコミュニティがあったので、そこで気を紛らわすことができました。
もちろん登校したくない日もありましたが、第一志望校に行くという親の期待に応えることが大きな目標だったのと、休むなんて言ったら絶対怒られると思っていたので、先生や親には心配をかけまいと自分の気持ちをグッと押し込んで通学し続けました。
しかし消えない心のザワザワは、テストの成績に影響し、思うような結果が出なくなっていきました。
テストの結果が出るたびに、母から罵倒されるようになっていきました。
「ちゃんと勉強しないからだ」
「塾でふざけて遊んでばかりいるからだ」
そして受験生の冬、3年間通っていた塾をまたも強制的に変えさせられました。
自分なりに言い返してみたものの、やはり打ち砕かれ、全く歯が立ちませんでした。
悔しくも悲しくて、突きつけられる現実に理解ができず、自分の気持ちなんて何一つわかってくれないんだと母を憎みました。
自由になりたかった
高校生活
そんな状態でしたが、なんとか第一志望校に合格し、憧れの高校生活が始まりました。
流行りのヘアスタイルやファッションをしたかったのですが、家のルールが厳しく、思っていた自由はありませんでした。
高校生になっても自由がないのかと、不満でいっぱいでした。
そんな高1の夏、突然母が病気で入院してしまい、家事をしてこなかった父のサポートだけでなく、今までなんでもこなしてくれた母のいない生活に戸惑い、環境の変化を受け入れるまで時間がかかりました。
憎んでいたはずなのに、何でも完璧にこなしてくれていた母の偉大さに気づき、急に心細くなってしまったのです。
ただ、弱音を吐いたり辛いところは誰にも見せたくなかったので、学校では常に明るく振る舞い、勉強よりも友達と遊んで楽しむことで気持ちを紛らわしていました。
そうして無事に母が退院していつもの日常が戻ったのですが、勉強に対するやる気はすっかりなくなってしまいました。
受験生になっても、それなりにやっていれば大丈夫だろうと過信してその場しのぎの学習だけで、全く危機感なく過ごしていた結果…
案の定、受験に失敗。
これまでめんどくさいことから逃げてきたり、困難に直面するとすぐ諦めたりしてきたので、これらのツケが回ってきたかのように苦しむことになるのです。
高すぎる目標で
挫折を繰り返す
自分の能力を過信したまま、浪人生活が始まりました。
ちょっと勉強すれば行きたい大学に行けると思っていました。
自身の適切なキャパを理解していないまま、高い目標を立ててしまうのです。
とある模試の日、
試験が始まった途端、突然胃がえぐられるような気持ち悪さに襲われました。
その気分の悪さから、軽くパニックになり冷や汗が出てきました。
これをきっかけに、緊張やストレスを感じる場面でこの症状が出るようになり
約15年間悩まされることになります。
大事な試験に限って実力が発揮できず、思い通りの結果が出ないことに納得ができず、自分を認めることができなくなっていました。
やがて、自分を否定し続けるようになっていくのです。
「なんで?」「どうして?」を繰り返す日々。
解決しようとするも「だって、でも」とすぐ否定が入ってしまう。
家に帰れば、母親からけなされ馬鹿にされ、自我はボロボロ。
頭痛や軽いめまいが出る日があっても、「疲れのせいだ」「自分の気持ちが弱いせいだ」と思い、自分の心に向き合うことはしませんでした。
そしてついに、自暴自棄になってしまいました。
「自分のやってきたことって何?」
「私って生きている意味ある?」
生きる意味さえもわからなくなっていました。
ふと我にかえり危機感を感じたわたしは、今の気持ちをとにかくノートに書き殴ってみることにしました。
その日に感じたことやその時の気持ちを毎日ありのまま表現していくうちに、
自分のレベルを理解せず背伸びしていたこと、そのことが自分自身を苦しめていたことに気がついたのです。
自分の能力を過信していたばっかりに一生懸命高い壁を越えようとしていましたが、全く状況が変わらないどころか悪くなってしまっていたのです。
自分の本当のレベルを素直に受け入れたら、今まで見てこなかった「行動」の扉が開きました。
小さな課題からクリアしていくことの大切さに少しだけ気づいたのです。
2度の挫折を経て、ようやく自分のキャパを受け入れることができました。
自分らしさって何?
もがく大学時代
そうして自分を受け入れた結果、行きたい大学ではなく、やりたいことができる大学に入学しました。
回り道をした分、大学生活で後悔したくなかったので、
学業だけでなくサークル活動やアルバイト、色々なことにチャレンジしました。
楽しく賑やかな雰囲気に溶け込んでいこうと必死だったのです。
自分はやっぱり華やかな場所が好きなんだと錯覚していました。
けれど、一人になった途端に疲労が強く出たり、体調を崩すこともありました。
とはいえ、やはり他人との距離感がわからず、モヤモヤしていました。
同級生でも年齢が違い、ジェネレーションギャップがあったからです。
自分の発言で相手の顔色が変わったり、今までとは違う反応をされるので
自身のキャラ設定に苦労しました。
「やっぱり自分は好かれないんだな」と、自分を否定することで開き直り、
ネガティブ思考をエネルギーにして過ごしていました。
そんな中、同級生との縁で、幼少期に習っていたそろばんを大学に入ってから再び習い始め、定期的に大会に向けて練習を重ねました。
幼少期にも多くの大会に参加して賞をとっていたので、ある程度自信はありました。
しかし、いざ試験が始まると、急に心拍数が上がり手が震え、思うように弾けず、数字もうまく書けない…
自分の中で何が起こったのか理解できぬまま解答時間が過ぎるのです。
このパニック状態は、浪人時代の模試の時のように大会のたびに起こるようになってしまいました。
「自分ではない」と否定すればするほど、冷静な対処ができないのです。
そして、大事な時に実力が発揮できなかったことを思い出します。
「やっぱり自分のメンタルが弱いんだ」
「先生にも仲間にも迷惑かける自分は本当に最悪」
「自分は情けないダメな人間だ」
今まで母に言われてきたことを、今度は自分自身で自分の心に言い聞かせてしまっていました。
それからも、何かあるたびにネガティブな考えをするようになり、治したくても治せない自己否定の悪循環にハマってしまいました。
こんな自分なので、就活で「強み」を見つけるのが本当に苦痛でした。
恋愛も就職活動も、全然うまくいかなくて心も体もすっかり疲れてしまいました。
思い立ったように、部屋の模様替えをしたり、一人旅に出たりして現実逃避することにしました。
この気分転換が功を奏して、最後の最後で大手航空会社への就職が決まったのです。
HSP気質だと気づかず
失敗ばかりの社会人
無事に大学を卒業し、社会人としての一歩を踏み出します。
浪人生活が長かったこともあり、職場内でも同期や近い先輩は皆年下で、
若干の違和感がありながらも、早く仕事に慣れなきゃと必死に業務を覚えました。
グランドスタッフの仕事はやりがいがあって好きでしたが、
スピードを求められる仕事は、正直あまり得意ではありませんでした。
それでも自分にはできる業務だと思っていたので、
スマートに仕事をこなそうとしていました。
しかし、現実はミスばかりしてしまうのです。
上司には、「自己判断でお客様に迷惑をかけているのだから、わからない時は誰かに確認をしなさい」と何度も言われました。
けれど、自分にとって人に頼ることは自分の弱さを見せている気がするし、聞いても嫌な顔をされるし、先輩の顔色を伺わないと質問できなかったので、何とか自分で解決しようとしていました。
時には女性の管理職や先輩からパワハラを受けることもあり、自分の仕事の出来なさに落ち込むこともありました。
会議の時も、頑張って絞り出した意見がスルーされ、違う方の意見ばかり採用されることが多くこの職場には不必要な存在だと感じることもありました。
そんな思いを抱えながら、相手の反応を気にして業務にあたる日々は、自分らしさが全く出せず、苦しいものでした。
会話にしても仕事の能力にしても、周りとの温度差を感じることが多かったし、自分を悲観することも増えました。
「退職」の文字が何度も頭をよぎりましたが、プライド、責任感、自分の弱さを認めたくない、頑固な性格が邪魔して、しんどくても出勤を続けました。
本当の自分に蓋をして、毎日明るく笑顔で元気に振る舞っていました。
そして、入社3年目が過ぎた頃、結婚し妊娠。
当時、職場内では珍しく、とてもアウェイな存在でした。
だからこそ、こんな身体で職場に迷惑はかけまいと、妊娠9ヶ月に入る手前まで働き続けました。
妊娠8ヶ月の頃、お客様とのミスコミュニケーションが原因でクレーム対応になってしまいました。
それにより、当時の女性上司から強烈なお説教とマタハラを受けたのです。
ショックが大きく、一日何も喉を通りませんでした。
「あのお客さんが悪い!」
「何でそんなこと言われなきゃならないの!自分はやれることやったし。」
とにかく、他人のせいにすることしかできませんでした。
完璧を求めすぎて
自分崩壊の子育て期
産休に入って約1ヶ月後、長女が産まれました。
今度は慣れない育児に翻弄されることになるのです。
母親になった以上、頑張って育てなくてはいけないと奮闘するのですが、なかなか泣き止まない、寝てくれない娘に自身の寝不足が溜まり、イライラや不安が襲ってくるようになりました。
実家の母には、「そんなこともできないで」などと子供の時のように小言を言われ、またもや落ち込みました。
幸いにも夫や義父母、義妹が助けてくれたことで、なんとか育児に専念することができました。
そして長女が一歳を過ぎた頃、すぐに職場復帰しました。
休職中に立場も環境も変わったのでいくらか働きやすくはなりましたが、育児優先のため時短勤務として働くことにしました。
とは言うもののも、業務の幅の狭さと勤務条件の割に合わなさに戸惑いは感じることは正直ありました。
ただ、会社への恩や退職することの不安やプライドが邪魔して、毎日通い続けていました。
時間に追われる日々の中、長女にわがままを言われたり、言う事を聞いてくれないと、勢いで怒鳴ったり叩いたりするようになりました。
保育園に送った後に自分のしてしまったことが情けなくなり、半分泣きながら通勤したこともありました。
「今日は怒らないでいよう」
「やさしくしよう」
何度考えたかわかリません。
けれど、理想とは違い、現実はそう上手くはいきませんでした。
そんな生活を続けて3年が過ぎた頃、第2子を授かります。
退職か休職か迷いましたが、先輩ママのアドバイスで休職を選ぶことにしました。
次女が産まれると、長女の時と比べて育児はいくらか楽にはなったものの、赤ちゃん返りの長女にこれまで以上にイライラすることが多くなりました。
「お姉ちゃんを大事にね。」
いろいろな人に言われました。
大切にしなければいけないと頭ではわかっているのに、態度や言葉遣いなど悪い行動ばかりが目に入ってきて、ただただ腹が立つのです。
気づけばしつけの叱りではなく、憎さで怒っていました。
褒めなくちゃと努力しようとも、褒めるところが見つけられない、褒めようともわざとらしくなる、そんな余計な雑念に振り回され、思うような声かけができませんでした。
長女はひねくれ、ますます自分のイライラが募ります。
どうしたらいいんだろうと悩んでも、ワンオペ育児で解決法を考える暇もなく、日々の生活を送ることに必死でした。
そんな悪循環から抜け出せないまま、また職場復帰の時期が近づいてきて精神的にピリピリするようになっていきました。
2回目の復職をした時には、前回の時よりも待遇や仕事内容が自分に合わないと感じるようになりました。
さらに引越ししたことで職場と自宅が遠くなり、通勤に往復2時間かかっていたので、育児と家事で時間により追われるようになりました。
手抜きはしたくないのに思うようにこなせない、そんな不器用な自分に再びイライラするようになってしまいました。
保育園に入りたての次女は月1で体調を崩していたので、職場に休暇連絡をするときは本当に心が痛みました。
また休むのかと思われるかも知れない、自分がズル休みをしていると思われるかもしれない、自分の仕事を誰かに代わってもらう申し訳なさ、そんな不安な思いを抱えながら職場に連絡をしていました。
長女に至っては、自分のペースなんかお構いなしに乱してくるので、いよいよわたしの感情が爆発してしまいました。
「いいかげんにして!」
「ふざけるな!」
「言うこと聞けないなら違うお家にいきな!」
通報されるかのように大声を張り上げて、怒鳴る日々。
朝から晩まで怒りを買ってくる長女が憎たらしく、本当に可愛がることが全くできませんでした。
それなのに、一通り爆発した後、悲しそうにうつむく長女を見ては、
「また言ってしまった…」
「こんな子育てがしたいわけじゃないのに」
優しくなれない器の小さい自分に、自然と涙があふれてきました。
母親にされてきたような子育ては絶対しない!と思っていたのに、結局自分も同じようにイライラをぶつけてしまっている…
繰り返す後悔と、自分が情けなくなるという負のスパイラルから抜け出せず、
「母親失格」という言葉が頭をぐるぐると回っていました。
自己嫌悪の沼にハマり
心も体もボロボロ
そうした毎日で自己嫌悪の沼から抜け出せず、夫とも言い合いすることが増えました。
寝ようとしても、起きた出来事を振り返っては、マイナス思考になってしまい眠れません。
子どもたちの寝返りにもビクッとしたり、外の音や秒針の音が急に気になったりしていました。
日々の寝不足と疲労はどんどん溜まっていき、頭痛、肩こり、腰痛、便秘、腹部膨張感、PMS、湿疹、咳喘息など、あらゆる不調が代わる代わる現れてきました。
「これくらい普通」
「歳のせい」
「病院なんて行ってられない」
などと、対症療法でその場をしのぎ、自分と向き合うことさえしませんでした。
そんな状態が続き、長女も小学生になる事から、働き方を悩んでいました。
すると世の中はコロナ禍となり、いよいよ退職を決めました。
働く先を探す中で、もっとラクに仕事をして稼ぎたい!という思いから副業で在宅ワークを探すことにしました。
今まで色々な業務をこなしてきたからできる気がするし楽しそう!と、数十万の自己投資をして起業塾に入りました。
しかし、キラキラママの環境に無理に合わせていることに「なんか違う…」と思うようになってきました。
徐々に成果も足踏みしてくると、行動が面倒くさくなってきました。
結局、1年足らずで活動を諦めてしまいました。
「やっぱり自分ってすぐ飽きるし、根性もない、何もできやしないじゃん」
思い通りにいかないからと、すぐ挫折してしまう自分がますます嫌いになっていきました。
自己嫌悪の上に日々積もる子どもたちへのイライラ…
ささいなことで声を荒げることが増えてくると、ついに夫から指摘を受けました。
ようやく我にかえったのです。
苦しみの原因を
探り始める
夫から指摘されることは、母親としてのプライドを傷つけられた気がしてなんとも言えない苦しい気持ちになりました。
しかしその反面、色々と考えるきっかけにもなりました。
「自分が変わらなかったら子どもたちはどうなるだろう」
「手に負えなくなってから後悔しても遅い」
「自分嫌いは子どもを愛してないことと同じ」
そう思うと、恐怖さえ感じるようになりました。
完璧を追い求めたり色々なことを気にするのは、自分を苦しめることなんだと気づいたのです。
それから、状況を打破する方法は何かないのかと模索し始めました。
自分軸で180°違う
生き方を手に入れる
独学でチャイルドコーチングの資格やマインドフルネスの資格をとりました。
それらを活かせる仕事がしたいとカウンセラーの仕事に興味を持ちました。
そこで学んだ心理スキルの講座に衝撃を受けたのです。
なんと、長年自分を苦しめていたのは、元々持つ自身の気質によるものだったのです。
例えば、
✔︎他人との適切な距離感に悩む
✔︎0か100かの極端な考え方をする
✔︎自分の存在価値に悩み自己肯定感が低い
これらに当てはまるのは愛着障害によるものであるということ。
✔︎相手に認められたくて明るい自分を演じる
✔︎罪悪感が強く自分を責めてしまいがち
✔︎被害妄想をしやすい
✔︎完璧主義のストレス
これらはアダルトチルドレンに当てはまっていました。
✔︎相手の顔色を伺う
✔︎音、光、匂いに敏感
✔︎家族が嫌いなのではなく一人にならないと休まらない
✔︎新しいもの好きだが飽きっぽい
✔︎ネガティブな感情を受け取りやすく疲れやすい
これらはHSPの特徴であり、自分にものすごく当てはまっていたのです。
点と点が繋がり、胸のつかえが一気にとれたのを感じました。
今まで他人軸で物事を捉えていたのを、自分軸に変えることで、無理しない自分を認めてあげられるようになりました。
完璧じゃない方が軌道修正が軽いこと、今日できなくてもOK!という気持ちでいれば無駄に怒らなくて良いこと、自分が変われば相手も変わることがわかってきたのです。
子育てに不安を抱え、理想とのギャップにもやもやしていたのに、自分を受け入れることで、こんなにも頭と心が軽くなるんだと実感できました。
そしてまた、抱えていた悩みを聞いてもらえる環境で自分の気落ちを吐き出せたことが何よりの薬でした。
気づけば対人関係においても、自分と相手との距離を保てるようになり、とても生きやすくなりました。
夫婦関係も改善し、夫から「柔軟になったよね」と、今までとは違う自分に気づいてくれるようになりました。
生きづらさを
感じている方へ
自身の経験から得たことを多くの方に伝えたいと、子育てママの笑顔を増やすカウンセラーとして活動しております。
子育てや人間関係でうまくいかず生きづらさを感じている方が、自分自身と向き合うことで自然とラクになり、頭と心が軽くなる感覚をご自身でつかんでいただきたいのです。
イライラや不安から解放され、むやみに怒ったり気を遣いすぎたりすることなく穏やかな気持ちで過ごしてもらうことが、私の最大の願いです。
終わりに…
ここまで、読んでくださりありがとうございます。
もしあなたも同じようなご経験があれば、きっと生きづらいと感じるときがあったのではないかと思います。
その生きづらさの原因を解決できずに、日々イライラしたり不安で苦しみ続けていると、心と体に不調が出てしまいます。
そうなってしまう前に、どうかカウンセリングの力を借りることをオススメいたします。
一旦、外の視界をシャットアウトし、自分の方へ目を向けてみましょう。
自分を上手に受け止められるコツを身につけられたら、自然とラクに生きられるようになります。
なんでも完璧にやらないと気がすまないのに上手くこなせなくてイライラしてしまう方
自分の子育てに不安がある方
怒らなくてもいいところで声を上げてしまって自己嫌悪になってしまう方
にピッタリのカウンセリングです。
相談してよかったと思えるよう、精一杯あなたに寄り添いますので、安心してご相談くださいね。
一人でも多くのママさんが笑顔を増やしていけますようにサポートいたします。
頭と心を軽くして、
ニコニコママになりましょう♪